ラスト・ステージ

さて、11月になりました。
第12回バンド・フェスティバルが、高梁総合文化会館にて開催されます。
僕たち3年生は、文化祭を最後に引退し、幹部も後輩達に引き継いでいるのですから、本来なら卒業後の進路に向けて、入試なり就職なりを頑張らなければなりません。
そして進路が決まるなどして、時間的余裕と熱意がある場合は、その後の行事にも参加することができます。
というのは原則論でして、僕は進路が決まる気配すらない中で、出演だけは決めていました。
なんと言っても、絶対数が少ないですからね。

僕ともう一人、クラリネットの子が3年生で参加してくれることになり、F先生とT先生にも演奏に参加していただくことが決定。
合計15人で、指揮はM先生です。

第12回バンドフェスティバル演奏するのはクラシックの有名なメロディーを巧みに寄せ集めて一曲にした「インスタント・コンサート」と、文化祭で散々な出来だった「スパニッシュ・フィーバー」のリベンジです。
どんな曲でもそうなのですが、まず大切なのはアインザッツを揃えること、ですね。

インスタント・コンサートはまぁまぁの演奏ができたと思うのですが、スパニッシュ・フィーバーではまたしてもバラバラになりかけました(ドキドキ)。
危険地帯は見せ場のドラムソロの後、主題が終わって最後の展開の部分。
ラッパと木管がやはりバラバラになりかけるのを、トロンボーンと太鼓が必死に支える、って感じでしたね。
最終的には、なんとかギリギリで「失敗した」って印象にまとまって良かったです(ホッ)。

さて、ここで大事なエピソード。
このステージでの演奏中、クラリネットを吹いていた I 君の足下に、固そうな黒い物体が落ちて転がるのが見えました。
それはなんと、彼の吹いていたクラの下半分だったのです。休符の間、片手で楽器を持っていた時にずり落ちたみたいです。気合いを入れすぎて、グリスを付けすぎていたのでしょうね。
もちろんその後、このエピソードは伝説となったのでした(笑)。

この日のステージでは2曲ともチューバを演奏し、バリサクの出番はありませんでした。
これにて、ついに僕の高校3年間に終わりが告げられたわけです。でも卒業の直前まで、放課後は部の練習に参加して楽器を吹いていました。
アンサンブル・コンテストに出てみようか、という話もありましたが、それはついに実現しなかったのでした。
最後の最後まで、僕の進路が決まらなかったものですから・・・(苦笑)。

振り返って

実質2年間の吹奏楽生活が、あっという間に過ぎ去りました。
入部した当時は、ここまでのめり込むとは夢にも思っていませんでしたね。
部長に任命された責任感もあったと思いますが、仲間と一緒に音楽を演奏する、というのは想像以上に楽しいものでした。

いろんな出来事の中で考え、行動してきた過去の自分を振り返ってみると、後悔することも多いです。
でもその経験が、現在の自分を作っていると思えるなら、それは無駄では無かったということでしょう。

高校時代、僕自身の家庭環境がかなり悪かったので、部活動に熱中した面がありました。
もう少し家庭が落ち着いていたとしたら、どうなっていたかなぁ、と思うこともあります。
ただ、そうしたらもっと没頭することになった、と確信していますけど(笑)。

さて、バリサクとチューバについては、今でも悩みます。
パーカッション志望で入部し、チューバ、そしてバリサクと担当したわけなんですが、バンドのことを本当に思うなら、さっさとパーカッションを諦めてチューバに専念したほうが良かったですね。
自分自身も、チューバがもう少し上手に吹けるようになったかも知れません。
でもチューバからバリサクに変わったのには、きちんと理由があったわけですから、ここはバリサクに専念すべきだったような気もします。
そうすれば、サックスがもう少し上手に吹けるようになったかも知れませんから(苦笑)。

この奇異なかけ持ち(一部のプロ奏者には見られるようですが)は、「二兎追う者は一兎も得ず」という諺の天然色見本のようになってしまいました。でも、隠れたメリットもありました。
金管と木管、打楽器が一応担当ということで、それぞれの教則本を熟読していました。だから、入部したての初心者を教えるのには、とても有効だったのです。
金管は経験者に恵まれたので苦労はなかったのですが、木管は経験者の入部がありませんでしたし、打楽器も経験者の入部は3年生の初夏でしたから。
まぁ、周りすべてが初心者っていう、かなり特殊な環境だから機能したわけですけどね(悩)。

当時はチューバの練習中にもバリサクのストラップを必ず首に掛けてましたし、スーザを吹くはずの野球応援にも、必ずバリサクを持って行ったりしてましたっけ。で、手に持っているのはドラム・スティック。
「人生あきらめが肝心」という家訓を忘れた、奇妙な自己主張でした(笑)。

最後に

ホームページを開設して、吹奏楽のコンテンツ化を決めた時から、この回想録を書き始めたのですが、序盤を書いた時点でしばらく「ほったらかし」になっていました。
そんな文章を、このたび最後まで書き終えることが出来たわけなのですが、その原動力になったのは近年設立されたOB・OG会の存在です。

まず、すでに忘れ去られた存在の僕に、声をかけてくれた後輩達には感謝の言葉もありません。
そして彼らと昔話を楽しむうちに、埋もれかけた記憶が蘇り、失いかけた執筆意欲に火がついたのです。
残念ながら手元に資料が残っていない上、15年以上も記憶を遡るのには限界があるので、間違いや勘違いもあるかも知れません。
それについては、当時を知るOB諸君に指摘していただけると幸いです。

僕は現役当時、仲間に恵まれたなぁ、と思っていたのですが、最近さらに強くそう思います。
当時だけでなく、その後も部を引き継いできた、そしてこれからも引き継いで行くであろう後輩たちがいるんですからね。
今までの卒業生と現役生、それに先生方の努力があって、はじめて歴史は作られていくんだな、と思うのです。

世代の違う仲間同士で、卒業後も交流を深めることが、容易にできるようになりました。
卒業生それぞれが、母校の吹奏楽部で過ごした時代、そこにはいろんなエピソードがあるでしょう。
そんな数々の体験を、みんなで共有できるなら、とても楽しいことですよね。
そして、そんなエピソードの積み重ねが今後も続いていくことが、とても嬉しい今日この頃なのです。